中山道中津川宿

伝統的街並み

江戸から45番目の中山道の中でも特に賑わった宿場のひとつ。全長1,100m、旅籠屋は大小29軒あったとか。木曽路の玄関口としても栄え、本町は街道情緒が残っている。 東濃地方随一の商業の町として栄えた中津川宿の町並みには「うだつ」が残る。宿場ではかつて三と八の付く日に「六斎市」と呼ばれる市が開かれていたそうで、 現在は復活した六斎市が毎月第一日曜日に開催されている。
宿場内の道は鍵の手に曲がっていて、いわゆる「枡形」となっている。 これは軍事上の必要からとも、客止めの策からとも言われている。

旧「肥田家」(田丸屋)庄屋屋敷 中津川市指定文化財
規模は大きく、西北の中山道に面する部分の建物の間口8軒敷地10間半、奥行きは建物で12間半ある。肥田家は江戸時代の半分、庄屋役を勤めていたとあり屋号を「田丸屋」といい、比較的身分の高い人が泊まる旅籠でもあった。

当時、中山道の中心部を流れていた用水は、野中の黒沢川から取水した大樋用水で、中津川宿内の火災に備えて敷設されたもので、この用水には、ものを流すことも、洗うことも禁じられていた。広義の生活用水、防火用水として利用されていたと考えられる。明治13年馬車が通れるように埋立て片側に移設された。

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